2024年のパリオリンピックでは、日本過去最高となる45個の獲得!

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2024年パリオリンピックでは、世界中のアスリートたちが32の競技、329の種目でメダルを争いました。1896年の初代アテネオリンピックから続くフェンシング、水泳、テニスなどの伝統的な競技がある一方で、ブレイクダンス、スケートボード、サーフィン、スポーツクライミングといった新しい競技も加わりました。

2024年の競技には、「スポーツ」という言葉の定義について議論があるものも含まれているが、過去100年以上にわたって行われてきたいくつかの競技と比較すると、それほど驚くべきものではないかもしれません。


歴史を振り返れば、このスポーツの祭典には常に変わった競技が存在していました。


ここでは、過去に存在した奇妙な競技のトップ5を紹介します。


1


走る鹿の射撃(ランニングターゲット)

1908年のロンドン五輪でデビューしたこの競技では、鹿(厚紙製)が幅20メートルの開口部を4秒間移動し、100メートルの距離から競技者がそれを射止めるというもの。最優秀選手はオスカー・スワーンで、この競技で彼は生涯、金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル2個を獲得した。また、彼はオリンピックで金メダルを獲得した最高齢の選手でもあり、1920年のアントワープ・オリンピックで72歳にして最後のメダルを獲得した。1952年、ヘルシンキで最後の鹿狩りが行われた。


2


クロッケ

ディズニーの有名な物語『不思議の国のアリス』に登場するクロッケーだが、オリンピック種目になっていたことがある。

クロッケーは、1900年パリ五輪でのみ唯一実施された競技となっている。このパリ大会は万国博覧会と同時に開催されたうえに、組織委員会が「五輪」であることを強調しなかったため、五輪に参加していることを知らないアスリートも多く、参加者がフランス人だけの競技も多かったのである。クロッケーはまさにその一例で、参加したのはフランス人選手だけだった。しかし、近代オリンピックで初めて、女子選手が参加した大会となったのだ。また驚くべきことに、

この大会の観戦チケットを買ったのはたった一人だったという。


3


バスクペロタ

日本ではあまり馴染みがない競技だが、スペインのバスク地方由来のスポーツだ。

1900年パリ五輪で実施されたが、出場したのはスペインとフランスの2チームだけだった。しかし、フランスはルールの不一致で出場を辞退し、スペインのペアがチャンピオンに輝いた。この金メダルは2004年まで、組織委員会(IOC)に認められていなかった。ちなみに1924年のパリ大会、1968年のメキシコ大会、1992年のバルセロナ大会では、公開競技として開催された。



ウォーターモータースポーツ

1908年のロンドン五輪ではモーターボートレースが実施された。歴史上で唯一、エンジンを使用した競技である。

3つのクラスに分かれ、どのクラスも距離は同じで、8海里のコースを5周し、合計40 海里 (74 km) 走ることが求められた。しかし、ロンドンの天候はそれを許さず、激しい強風が吹き荒れた。各クラス複数のボートがエントリーしたが、満水になったり、座礁したり、エンジントラブルに見舞われたりと、棄権せざるを得なかった。

その結果、各レース完走したのは1艇のみで、メダルは金メダルのみとなった。大会後に、IOCがモーターを使用していることを理由に、この競技を廃止する決定をしました。



綱引き

1900年から1920年にかけて、綱引きはオリンピックの種目として珍重された。綱引きで勝つためには、強さ、敏捷性(びんしょうせい)、チームワーク、戦略の組み合わせが必要だ。

公式ルールでは、8人のチームが相手を2.5メートル引っ張れば勝ちと定められていた。どちらかのチームがそれを達成できなかった場合、審判団は5分間の追加を認め、最も遠くまで行ったチームを勝者と宣言した。

ロンドン市警の警官で構成された英国チームは、この競技で特に強かった。彼らはこの競技で、2つの金メダルと1つの銀メダルを獲得しました。


過去にはこのような競技も存在していたようです。


次回のロス五輪では新たな競技が出てきて、選手が活躍してくれるのが楽しみです。


我々電気業界にも日頃の技術を競う大会があります。

いわば、電気のオリンピックです。


私もいつかは出場したいものです


エヌデン920